夢の欠片 -パニック障害な私ー -314ページ目
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存在

 

 

 

 存在

 

 

帰れない処へ行く

 

知り人の無い処へ行く

 

この身を消せる処へ行く

 

無理なこと

 

無駄なこと

 

馬鹿なこと

 

判ってる

 

分ってる

 

解ってる

 

だから、此処に居る

 

だから、人に会う

 

だから、存在する

 

 

 

 

 

隙間





  隙間



面白くない毎日を


面白くないとも言えず


ただ、一日を消化するため


ただ、目の前の事をなすため


心にバリアを張って


思考にフィルターを掛けて


三つの切換ボタン


妻・母・仕事、妻・母・仕事・・・


西の地平が、朱に染まる


一瞬、女に戻り、


一筋、涙が零れる


貴方の望むことには、


果てしがなく


私にできることには、


限りがある


夜の帳が降りて


近くて遠い二人の隙間の


空気さえも凍らせる

 





ある日の午後




「いやよ・・・

そんなの・・・絶対いや!」

「何言ってんの。

こうするしかないのよ、もう。」

「だって・・・だって・・・」

「いい? 二時間、ううん、一時間半でいいわ。

それで、決着つけるから。」

彼女は、淡々と言い放つ。

五十年近いその人生に、

自ら終止符を打とうというのに、

なぜ、平静にしていられるのか?

私は、恐る恐る母の顔を見た。

いつもと同じだ。

いつもとお・な・・じ・・・・・

突然、母の声が遠くなり、

空も、街も、行き交う人も、

私が握っているはずのハンドルも、

遠ざかっていく。

実感をなくしたまま、

私は、まるで映画の観客のように、

それらを茫然と見た。

「じゃあ、あんたは、そこら辺を、

 一回りしてて、」

黙ったままの私を残して、

さっさと車を降り、

薄暗いアパートの階段を、上っていく。

靴音だけ聴いて、

ドアが開き、また閉まるだろう音は、

勢いよくエンジンを掛けて、かき消した。

今や、私たちにとって、

たったひとつの財産である、

車のアクセルを、思い切り踏んだ。






少し行くと、公園がある。

緑に覆われた公園。

そのフェンスに寄せて、車を止めた。

汗をかいていた。

ほんの二、三百メートル、

車を動かしただけで、

握っていたハンドルも、濡れていた。

汗をかくような季節ではない。

どころか、今日は肌寒い位だ。

まだ、十分しか経っていない。

言われた時間までここに居よう。

公園の向こう側へ、

日は傾いていた。

異様な静けさだった。

まるでそれだけが、

生き物であるかのように、

自分の鼓動が、

車内に充満している。

母ともうひとりの男・・・

二つの遺体を、

発見しに行かねばならない。

私は固く目を閉じた。

すると、生々しい映像が広がった。

慌てて、目を開け、

無理やり、

穏やかな日常の風景を、

殊更、観察するように見た。






弱々しい陽光が、

辺りを照らしている。

時折、こどもたちの笑う声が、

木立ちの隙間から、

風に乗って、やってくる。

どうして、こんなことに、

なっちゃったんだろう?

そう、あの男。

あの男が現れてから、

すべてが、壊れてしまったんだわ。

一人の男の顔が、

鮮明に浮かび上がってきた。

いわゆる、いい男っていうのかしら。

見た目には・・・ね。

中身は、大違い。

まったく、なんであんな男が・・・

一年前、

私たちの前に、彼が現れなければ、

穏やかな日々が、

今も、続いていたはずなんだわ。

お母さんって、ほんとに、男運悪いのね。

お父さんには、女を作って逃げられちゃうし、

こんどは、結婚詐欺。

もう、どうしようもないのね。

家もお店も盗られちゃったし、

その上、借金まで負わされて・・・

いつの間にか、頬を涙が伝っていた。

「お母さん、お母さん・・・」

思わず、声に出してしまった途端、

堰を切ったように、涙が溢れ、

止まらなくなっていた。

「死なないで!」

「死んじゃダメ!」

止めなきゃ、止めに行かなくちゃ。

必死で、動こうとしてるのに、

体が動かない。

どうして?

どうなってるの?

私、行かなきゃいけないのよ。

ああ、誰か、私をあそこへ・・・・

連れ・・・てって・・・



    

    <つづく>

 


ある日の午後

「ちょっと!」

「早くここ、開けてよ!」

ドン、ドン、ドン

ん?・・・なあに・・・

「開けなさいってば、何やってんの」

えっ!

ああ、お母さん。

ええっ!

私は、急いで、目を擦った。

車の外には、

母がイライラした様子で立っている。

え、あ、開けるのね。

慌てて、ロックを外す。

助手席のドアが開いて、

「もう、トランクも開けてくれなきゃ、

 荷物、入れられないじゃない。」

ああ、トランク、トランク・・・ね。

パカッ。

あっと、いけない。

給油口の方だった。

やっと、トランクが開くと、

母は、両手いっぱいの荷物を放り込んだ。

いったい、ぜんたい、どうなってるの?

第一、ここって、どこよ?

辺りを見回すと、

いつも行ってた大手スーパーの駐車場らしい。

すっかり、日は落ちて、

あちこちの店のイルミネーションが点り始めた。

「遅くなっちゃったわ。

 さ、早く帰りましょ。」

帰るって、どこへ?

うち?

「何してんの?

 寝ぼけてるんじゃないの?

 ああ、寝てたのね。

 私、遅くなっちゃったから。

 ごめんね。

 偶然、会ったのよ。

 高校の同級生。

 ついつい、長話しちゃって・・・」

「ああ、そうなの・・・」

スターターを回しながら、

私の頭は、ミキサーで掻き回されたように、

記憶の断片がグルグルと踊り狂っていた。

 



 

 

 

「ほら、あんたの好きなエビドリアとポテトサラダ。」

うちは、何にも変わっていなかった。

以前のままだ。

一週間分の食料を、

冷蔵庫に詰め込むのに忙しい母は、ほとんど無言だ。

夢をみてたっていうの?

あんなに長い・・・鮮明な・・・夢って、

そんなのあるかしら?

”ピンポ~ン”

「あら、誰か来たわ。

 お店の方ね。

 何かしら?

 あんた、ちょっと、出てみてよ。」

ブティックの方へ降りていくと、

そこも、前のままだった。

ガラス戸の向こうに、人影が見えた。

カーテンを開けると、

男がひとりで立っていた。

あ、

あ、あ、あの男。

あの男だわ!

ドアを開ける手が、小刻みに震えた。

「すみません。

 お休みのところを、申し訳ない。

 昨日、買いそびれてしまったもので・・・」

「昨日?」

「ええ、母の日に渡したかったんですが、

 昨日は、急用ができてしまって・・・

 それで、その、

 前からこちらのウィンドウに掛けてある、

 その、あの半袖のセーターを、」

「お帰りください!」

「え?、いや、あの、僕は・・・ただ、」

「あなたにお売りするものはありません!」

「あっ、いや、ちょっ、待って、」

言うや否や、ダン!、と、ドアを閉め、

鍵を掛け、サッと、カーテンを引いた。

一連の動作を終えた私は、

へなへなと、その場に座り込んでしまった。

「これでいい。

 これでいいのよ。

 私たち、助かったんだわ。」

 

 

    <END>

 

 

 

 

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