ある日の午後 | 夢の欠片 -パニック障害な私ー

ある日の午後




「いやよ・・・

そんなの・・・絶対いや!」

「何言ってんの。

こうするしかないのよ、もう。」

「だって・・・だって・・・」

「いい? 二時間、ううん、一時間半でいいわ。

それで、決着つけるから。」

彼女は、淡々と言い放つ。

五十年近いその人生に、

自ら終止符を打とうというのに、

なぜ、平静にしていられるのか?

私は、恐る恐る母の顔を見た。

いつもと同じだ。

いつもとお・な・・じ・・・・・

突然、母の声が遠くなり、

空も、街も、行き交う人も、

私が握っているはずのハンドルも、

遠ざかっていく。

実感をなくしたまま、

私は、まるで映画の観客のように、

それらを茫然と見た。

「じゃあ、あんたは、そこら辺を、

 一回りしてて、」

黙ったままの私を残して、

さっさと車を降り、

薄暗いアパートの階段を、上っていく。

靴音だけ聴いて、

ドアが開き、また閉まるだろう音は、

勢いよくエンジンを掛けて、かき消した。

今や、私たちにとって、

たったひとつの財産である、

車のアクセルを、思い切り踏んだ。






少し行くと、公園がある。

緑に覆われた公園。

そのフェンスに寄せて、車を止めた。

汗をかいていた。

ほんの二、三百メートル、

車を動かしただけで、

握っていたハンドルも、濡れていた。

汗をかくような季節ではない。

どころか、今日は肌寒い位だ。

まだ、十分しか経っていない。

言われた時間までここに居よう。

公園の向こう側へ、

日は傾いていた。

異様な静けさだった。

まるでそれだけが、

生き物であるかのように、

自分の鼓動が、

車内に充満している。

母ともうひとりの男・・・

二つの遺体を、

発見しに行かねばならない。

私は固く目を閉じた。

すると、生々しい映像が広がった。

慌てて、目を開け、

無理やり、

穏やかな日常の風景を、

殊更、観察するように見た。






弱々しい陽光が、

辺りを照らしている。

時折、こどもたちの笑う声が、

木立ちの隙間から、

風に乗って、やってくる。

どうして、こんなことに、

なっちゃったんだろう?

そう、あの男。

あの男が現れてから、

すべてが、壊れてしまったんだわ。

一人の男の顔が、

鮮明に浮かび上がってきた。

いわゆる、いい男っていうのかしら。

見た目には・・・ね。

中身は、大違い。

まったく、なんであんな男が・・・

一年前、

私たちの前に、彼が現れなければ、

穏やかな日々が、

今も、続いていたはずなんだわ。

お母さんって、ほんとに、男運悪いのね。

お父さんには、女を作って逃げられちゃうし、

こんどは、結婚詐欺。

もう、どうしようもないのね。

家もお店も盗られちゃったし、

その上、借金まで負わされて・・・

いつの間にか、頬を涙が伝っていた。

「お母さん、お母さん・・・」

思わず、声に出してしまった途端、

堰を切ったように、涙が溢れ、

止まらなくなっていた。

「死なないで!」

「死んじゃダメ!」

止めなきゃ、止めに行かなくちゃ。

必死で、動こうとしてるのに、

体が動かない。

どうして?

どうなってるの?

私、行かなきゃいけないのよ。

ああ、誰か、私をあそこへ・・・・

連れ・・・てって・・・



    

    <つづく>